作者 ふちりん

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  俺、恋愛大臣だから  

「モーニング娘のコンサート、行きませんか?」
 唐突に佐々木が言った。モーニング娘、だって? 俺が? なに? モーニング? 笑わすな、阿呆。俺はいぶかみながら、佐々木を見やった。佐々木はどんどん話す。
「いや〜、知り合いの関係者筋からチケットを頂いたんですけどねえ、あいにく僕は、ちょっと、公演の日は仕事が入ってしまいましてね。のっぴきならないんですよ。
 木下さん、来週の日曜、ヒマでしょう? ペアチケットなんで、奥さんと一緒に、どうですか、たまには、こういうのもよろしいでしょう、ゆずりますよ、タダで」
 ヒマでしょう? とはどういう了見だ、失礼なやつだ。事実、ヒマなんだけどな。くそう。何でヒマなんだ、俺。ちくしょう。
 それにしても、ヨウコと一緒に、モーニング娘の、コンサートか。うわあ。想像したら、むずがゆくなったよ、体中が。かゆい、かゆい。すごく不自然。人間的でない。文化的でもない。たまには、たまには、か。いいのかな、たまには。こういうのも。モーニング娘などはよく知らんけども、若い娘を見るのも、目の保養になるのかもしれん。ヨウコと一緒というのはちょっと嫌だな、気恥ずかしいな。でもまあ、いいか、たまには、たまには。
「おう、佐々木、ありがとう。行かせてもらうよ、チケット代は、いいのかね?」
「もともとタダでもらったんで、いいですよお金は。でも実はこのチケット、プレミアものでしてね、大分高騰してるみたいで。一枚五万円くらいで取引されてるようですよ」
「五万? ご冗談。うまいね、どうも。そんな言わんでも充分感謝しておりますよ、佐々木くん」
「いやいや、本当ですよ。五万の価値があるんですよ、そのチケット。誰だったかな、そうそう、チャーミーです、チャーミーの卒業コンサートなんですよ。いやほんと、感謝してほしいですよ、5万で売れるところを、ただで差し上げるんですから。あ、ちょっといやらしいですかね、こういう言い方。あは」
 佐々木は、あは、あは、あはは、笑いながら、千鳥足で自分のデスクに戻っていく。
 俺の目の前、俺のデスクの上に、二枚のチケット。
『モーニング娘。春のツアーでドスコイ祭りで張り切りトルストイ』という文字が刻印されている。さらに集合写真が印刷されていて、モーニング娘のメンバー十一人が整ったスマイルを作っている。営業スマイルってやつ。にっこり。
 チャーミー、って言ってたな、佐々木の奴は。チャーミーって、誰だよ。わからん、皆目わからん。チャーミーグリーン。それは知っている。チャーミーグリーンを使うとー手をつなぎたくなぁーるうーっていうCMが昔あった。そこからとったのか、チャーミー、なるほど。じゃあこの緑色の服、グリーン、チャーミーグリーン色の服を着てるのが、そのチャーミーとかいう女子であるわけか。そうか、そうか、この女子が、来週の日曜、晴れ晴れ、卒業の日を迎えると。めでたや、めでたや。何にしろ、めでたい。卒業は、めでたいのだ。異論をさしはさむ余地、これ皆無である。うきうきする気持ちを、なだめて、俺は、おとな。そう、おとな。冷ややかに、見るかね、冷ややかに。モーニング娘なんて、喜んで見たらいけない。あほう、阿呆、阿呆が踊っておる。みたいなニュアンス、これを堅持して望もう。そう決めた。


 日曜日。きた。日曜日。休日である。コンサートの日。我が家で、ヨウコ、ぐずぐずしている。ぐずぐずするな! さっさとしろ! 何やっていやがる! 始まっちまうぞ! などと言いたい気持ちを抑えて、そう、俺は、おとな。おとなだから。
「ヨウコ、まだですか。まだですか。そろそろ行かない?」
 ヨウコは、鏡台で毛づくろいやら、なにやら、水を顔にぶちまけたり、顔を自分でひっぱたいたりしていて、きりがない。
「ごめんなさい。もうすぐですよ。――はい。できた。できました。完了です。バッチリですわ。そろそろ行きましょうか」
「よし、よし、行こう。モーニング娘を、見にいこう」
 ヨウコは、俺をみて、くすくす笑って、
「あらあら、張り切っちゃって、まあ。助平でいらっしゃるのね」と言った。
 しまった。迂闊だ。うかつな奴だ、俺。つい張り切ってしもうた。あかん。あかんで。
「何をいうか。俺は、立派なおとなだぞ。お前という素敵なワイフもいるのだぞ。助平とは、そんなこと言われるなんて、じつに遺憾だぞ。撤回してくれ」
「ごめんなさい、うふ、おとなですものね、うふふ」
 ヨウコは、しなやかに笑った。しなやかで、少し綺麗だったので、俺はちょっとぼんやりしてしまった。
 ぼんやり、している場合ではない。モーニング娘のコンサート、いざ行かん。何しろ、五万だ、五万、無駄にしてはいけない。
「五万だぞ、五万。二人合わせたら十万だ。大変な額だ。行こうぞ、行こうぞ。無駄になっちゃうからさ」
 俺たち夫婦は、いそいそしながら、コンサート会場に向かった。


 着いた。会場前、ごった返している。人がいっぱいおる。いるなあ、人が、うじゃうじゃ、いるなあ。目が回りそうだよ、目が。
「ヨウコ、目が回りそうだよ、目が。人が、うじゃうじゃいるね」
「そうですね、でも、そりゃそうですよ。モーニング娘さんのコンサートですからね。大人気ですから。そりゃ、沢山いらっしゃいますよ」
「時間はだいじょうぶかな? まだ、始まらないのかな?」
 ヨウコはちっちゃい腕時計に目を落として、
「まだ、だいじょうぶですよ。開演まで、あと、三十分ほどありますから、まだゆっくりできます。すこし、休みませんか? どこか座れるところないかしら」
 俺たちは、会場の前のスペースで、腰を下ろせそうなところを探した。
「あそこに具合のいい石があるじゃないか。あそこに座ろうよ」
 二人でならんで、具合のいい石に座って、一息ついた。煙草でも吸うか。煙草。セブンスターのソフトボックスから一本取り出して、口にくわえる。火を付けて、吸う。すぱー。すぱー。煙の中で、人がうじゃうじゃ、うごめいているよ。いるなあ、人が。いっぱい。
「いるなあ、人が。うじゃうじゃ。いろんな人がいるものだね」
「ええ、皆さん、大好きなんですね、モーニング娘さんが。ほら、あの方、ハチマキをして、気合入っていますよ。うふふ」
「すごいな、すごいな、モーニング娘の写真を、体中にくっつけている人があるよ。すごいな、すごいな。勇気のあるひとだな。あ、おかしな踊りをおどっている人もある。あれ、いったいどういう踊りだろうね、珍妙な踊りだけれども、どうも、滑稽で、おもしろいね。いろいろな人が、いるものだね」
「お祭りみたいですわね。なんだか、楽しい気持ちになってきました。みんな、楽しそうな、幸せそうな顔をしているから、私まで、ちょっと楽しく、幸せになってきましたよ」
 おや、ヨウコったら、うきうきしているのか、ヨウコ、いけないよ。君は、おとななんだから、もっと落ちついて、子供をあやすような心もちで、いかなければならんよ。俺は、阿呆を見にきた、阿呆がおどっておる、めでた、めでたや、ちょっと、かわいいかもね、そんな感じで、そんな感じで。


 チケット切って、会場の中へ、いざ、って言って、入った。相変わらず、人がうじゃうじゃしている。気分が悪くなってきた。会場の中は、空気が薄いね、どうも。みんな、ちゃんと呼吸できているのかな。すーはー、すーはー。
「おい、ヨウコ、呼吸はできているか。だいじょうぶか。苦しくなったら、言うんだぞ。無理は、するなよ。こんなところで死んじゃいけない。無理は、するなよ」
「ええ、大丈夫ですよ。あなたは、だいじょうぶですか。あなたも、無理はしないでくださいよ」
 ちょっと微笑んで、ヨウコが言った。俺はなんだかキュンとなった。胸がくるしい。息が苦しい。あれ、やはり空気が薄いのか、吸えない。空気が吸えない。やばい、俺は、ここで、こんなところで、死ぬのか。いけない。こんなところで死んではいけない。
「木下さん、お亡くなりになったらしいわね」「聞くところによると、モーニング娘のコンサートで亡くなったらしいわよ」「あら、そうなの、あらあら、助平でいらっしゃるのね、いい年をして、モーニング娘だなんて、うふふ」「うふふ、あら、笑ってはいけないわ、でも、うふふ、いけない、いけない、うふふ」こんなことを、俺の死後に言われていたら、俺は自殺しちゃうだろう。死後に、自殺。二重の死だ。暗黒。
 はあはあ、はあはあ、息をせねば、息を。ここで死ぬわけには、いかない。だいじょうぶか、俺、だいじょうぶか、俺、はあはあ、はあはあ。
「顔色が、悪いですわよ。ドリンクでも買いましょうか?」
「そうだね、ドリンクでも買おうか、はあはあ、息ができない、でも、だいじょうぶ、はあはあ、だいじょうぶだよ、ドリンク飲めば、きっとだいじょうぶだよ」
 売店でドリンクを二つ、購入した。高い。一本二〇〇円も取りやがる。馬鹿にしている。足元をみられている。会場の外に出られないからといって、法外な値段を吹っかけるとは、ふてえ野郎だ、なめやがって。俺は憤慨した。息ができないことなんか忘れて、公憤にうちふるえた。ドリンクをごくごく飲んで、俺は言った。
「馬鹿にしていやがる、二〇〇円も取りやがったね、腹が立つね。いやなものだ、人間ってものは、いやなものだよ、足元を見るんだ、夢を見せるものじゃないのかね、コンサートってのはさ、そんな夢のパラダイスで、そうだよ、パラダイス銀河だよ、そこでね、こんなうす汚い金欲をまざまざと見せ付けるたあ、いったいなんなんだい、俺は、腹が立つよ」
「二〇〇円くらい、よろしいじゃありませんか、カリカリしたってしょうがないですよ。楽しいところで、カリカリするなんて、馬鹿らしいじゃありませんか」
「お前は、金を稼いでないから、そういうことを言えるんだ。俺が、必死に働いて稼いだ金だぞ。それを、たった二〇〇円、二〇〇円くらいなどと、よく言えるものだね、あきれるよ。俺は、腹が立つよ、いやだ、いやだ、人間ってものはいやらしいものだ」
 ヨウコは、柔らかく笑って、
「あら、ごめんなさい、さあ、どうです、息はできるようになりましたか? そろそろ始まりますよ。席に行きましょうよ」と言った。
 俺は、カリカリして、わざとカリカリして、肩をいからせて、ヤクザみたいにして、風を切って歩いて、我らの席に向かった。息は、すっかりできるようになった。ドリンクのおかげかもしれない。一本二〇〇円のドリンク、馬鹿にしくさる。ちくしょう。


 ヨウコと二人並んで、席に座った。まだ、始まらない。あれ? 舞台、どこ? 舞台はどこだ? 見えないぞ、ん? あれか、ずいぶん遠い。ひどく、遠いい。
「遠いね、どうにも、遠いいじゃないか」
「まあ、しょうがないですよ、ただでチケット頂いたんだし、あまり贅沢は言えませんよ、それに、ほら、双眼鏡もってきましたから、だいじょうぶですよ」
 近くで見たいものだ、どうせなら。双眼鏡でウォッチングだなんて、あまりにもみっともないではないか。俺は、人間だぞ、人間。なんで、人間が人間を見るのに、双眼鏡など使わねばならんのか、馬鹿にしている。舞台に立っているモーニング娘も、双眼鏡を持っているなら、それはよしとしよう。トントンだ。互角。対等。それならいい。しかし、舞台のひとが双眼鏡のぞくなんてことはありゃしないんだ。くそう。くやしいな。負けたよ、負け。どうせ、俺は、愚民だよ、市民でさあ、一般市民。みっともなくて、一般市民。貪欲。貪欲に見るんだね。そうそう。でも、あれだ、そうだ、阿呆、阿呆、阿呆が踊っておる、こりゃ滑稽、めでた、めでたや、この気持ちを忘れるところでした。いけない、いけない。俺はおとななんでね、やっとる、やっとる、みたいな、そんな感じで。


 暗転。真っ暗。停電か。停電なのか? 何が起きた? ついに、来たか。テポドンぶっ放しやがった、北のやつら、とうとうプッツンいきやがった。大変だ。モーニング娘どころではない。何が、パラダイスだ、何が、パラダイス銀河だ、アンパラダイスだよ、今のこの時からアンパラダイスだよ、アンパラだよ、アンパラ、凄絶な戦争が始まるよ。地獄の黙示録。テポドンが、どこやらの原子力発電所に命中したんだ。それで、停電。いやだ、いやだ、戦争だ、ウォーだ、混沌、混乱、暴動、怖いぞ、助けてくれ、どうしたらいいんだ。俺は、ガクガク震えて、となりのヨウコに言った。
「ヨウコ、逃げよう! 早くここから出よう。大変なことになった。あいつら、テポドンぶっ放しやがった、戦争が始まったぞ!」
 しかしヨウコは、しごく冷静だ。落ち着いている。大したタマだ、女は度胸。
「何を言ってるんですか。ほら、始まりますよ、ほら、出てきました。出てきましたよ、モーニング娘さんたち、現れましたよ、ご覧なさいな」
 舞台に、明かりが灯っている。よかった、テポドンは落ちてない。ウォーは、勃発しておらん。よかった。って、にわかに、周りのひとびとが、一斉に立ち上がった。とんでもない歓声が上がる。俺、あわてた。今度は、なんだ、なぜ、立つんだ。見えないではないか。モーニング娘を、俺に見せろ、見せろと言うんだ。見えない、見えない。見たいんだ、ええい、見せろ。五万だぞ、五万、なにさらしやがる、五万だぞ、馬鹿野郎。ぶっ殺してやる。
 俺は立った。ヨウコも立った。みんなが立った。クララが立った。
 爆音が俺の耳を破壊しそうだ。鼓膜がぶるんぶるんしている。
 あーなーたー恋愛大臣ーならー世界中を愛でー埋ーめつくしてイエス、イエス、アイムインラーブ、って歌っておる。唄っておる。めでた、めでたや、あほう、阿呆、阿呆が、踊って、歌って、万々歳である。ぼーっと。する。してる。俺は、ぼーっとしてる。突っ立ってる。ひとりで、突っ立ってる。
「あーなーたーれーんあいだいじーんならー」
 俺は、ためしに、一緒に唄ってみた。恋愛大臣、恋愛大臣か、俺、恋愛大臣かもしれん、すでにして、恋愛大臣かもしれん。愛、振りまきたおして。
 しかし、遠いなあ、遠いよ、見えんよ、ぜんぜん、見えんよ。五万だぞ、五万、五万なのに見えないってなあ、どういうこったい。
 あ、そうだ、双眼鏡があった、ヨウコ、双眼鏡貸してくれんか、って話しかけても、ヨウコは舞台を見つめたまま、俺をシカトである。シカッティングである。しょうがないから、ヨウコのわき腹突っついて、手でもって、双眼鏡の形をつくって、目に当てるジェスチャーをした。便利だな、ジェスチャー、これだよ。すべての言語はジェスチャーに敗北するのだ。
 ヨウコはやっとこさ俺に気付いて双眼鏡をわたしてくれた。偉大な言語、ジェスチャー、ボディーランゲージ、イエス、恋愛大臣、俺が恋愛大臣だからな、愛、振りまくから、これ、通じるの。愛だよ、愛、あなどれぬ、モーニング娘。阿呆のくせに。やるな。くそう、負けた。どうせ俺は愚民、平民だよ、悪かった。
 双眼鏡をかまえて、舞台をながめやる。おお、見える、見える、こうじゃなくっちゃあ、いかん。でかいな! でけえ! 触れそうだ。目の前にいるようだ。ちょっと手を伸ばしてみた。一人のモーニング娘の、おっぱいを揉んでみる。空をきった。ぼーっと突っ立って、左手でもって双眼鏡かまえて、右手を伸ばして、おっぱいを、もみもみ、もみもみ。あ! 感触があった! 俺は、今、揉んでいる、誰かは知らぬが、モーニング娘の、おっぱいを、胸を、乳首を、もみもみ、コリコリ、もみもみ、コリコリ、している。さわさわ。わさわさ。違った。これは、勘違いだ、大変なことをしでかした。俺は、前の席の女の子の頭を、髪の毛を、わさわさやっておる。わさわさ。ぐしゃぐしゃ。
「あ」
 前の席の女の子が、俺のほうに振り向いた。しばし、見つめあう二人。
 俺、恋愛大臣、愛、振りまくから。愛だよ、愛、これも愛。わかってくれるよね、これ、愛だから。
 俺は、至上で無欠の言語であるジェスチャーを用いて、謝った。チョップ! するみたいにして、手を振り上げて、謝意を表明いたしました。俺によって頭をワシづかみにされ、せっせと一生懸命ととのえたであろう綺麗な髪の毛がぐしゃぐしゃになったにもかかわらず、前の席の女の子は笑顔でニコってして許してくれて、また前に向き直り、手を振ってモーニング娘の応援をはじめた。
 俺、恋愛大臣だから、愛、振りまくから。通じるの、これ、通じちゃうの。愛だね、愛。言葉はいらないよ。恋愛大臣だし。ジェスチャーがあればいいの。そういうもんなの。ほっとした。俺はほっとした。心底、ほっとした。
 ほっとした俺は、ぼんやり、モーニング娘を、眺めた。双眼鏡を通して。


 MCだか、ちょっとしたコントみたいのを挟みつつ、コンサートは淀みなく進行する。慣れたもんだね、立派だ。すごい。努力、したんだろうなあ。努力。これ、大事だよなあ。阿呆、阿呆、阿呆が踊っておる、あはは、踊っているよ、面白いね、なんて、言うのは、とんでもない非道、極悪、悪人、のような気がしてきたが、いけない、いけない。おとなだから、俺は、熱くなっちゃだめ。恥ずかしいよ。落ち着いて、落ち着いて。
 そんで、チャーミーが卒業らしいんだけど、チャーミーってどれだ? わからん。皆目わからん。見分けがつかん。みんな同じように見えるのだが、これはいったいどうしたことか。MCにおいて、自己紹介はあった。たしかに、それはあった。しかし、一度で覚えられるわけがない。わからん。わからぬ。皆目わからぬ。フーイズチャーミー?
 グリーンだ、そうだ、チャーミーグリーンだ、思い出した。手をつなぎたくなーるーんだ、チャーミーグリーンを使うと。緑。緑色の人を探せばよい。かんたん、かんたん、楽勝。あれ? おらぬ。緑の衣装きておらん。みんな、金色の衣装を身にまとっている。これじゃ、わからんじゃないか。緑を着ろ。チャーミーグリーンなんだろうが。いつでも、緑を着ろというんだ。わかりゃしないじゃないか。


 ――終わった。唄いきった。彼女たち、歌いきりました。退場したよ。と思ったら、アンコール。
「りーかちゃん! りーかちゃん! りーかちゃん!」
 おいおい、それが、アンコールなのか? 通じませんよ。「アンコール!」これじゃないと。意味がわからないじゃないか。名前だけ呼ばれても、困るじゃないか。
 それでも、どうやら通じたらしく、またモーニング娘が出てきた。以心伝心ってやつ。俺、恋愛大臣だから、たぶん俺の愛がふりまかれて、それで、通じた。
 あ、俺、得心した。目の前がパーッと開けた。
 りかちゃんイコール、チャーミーグリーンではないのか。そうか、そうか、チャーミーはりかちゃんであって、りかちゃんはチャーミーなのである。それで、舞台の真ん中で、まさに今、花束を受け取っているのが、りかちゃんであってチャーミーであってグリーンであって手をつなぎたくなーるーの人であるのだ。わかった。わかっちゃった。最後の最後で、わかっちゃった。
 俺は、双眼鏡を構えて、りかちゃんイコールチャーミーを眺めた。りかちゃんイコールチャーミーは、モーニング娘ひとりひとりと抱擁して、言葉を掛け合い、腰がくだけたようになったり、ふらふらになったりしてる。その目には、涙があふれていた。涙。嗚呼。涙。なみだ、ひさしぶりに見たな、なみだ。俺、最後に見たのはいつだったか、ひとのなみだを見たのは。思い出せない。何年前かなあ。親父が死んだとき、お袋が泣いてたのを見たのが最後かな。なかなか、めずらしいもんだ、なみだ。なみだか。努力、努力、努力、そして、卒業、めでた、めでたや。阿呆、阿呆、阿呆が、踊っているよ。ははは。滑稽、滑稽。なみだを流しながら、涙声で、つまりながら、唄っているよ。りかちゃんイコールチャーミーが、卒業で、嬉しいのか、哀しいのか、さびしいのか、わからないけれど、目から涙を流しているよ。すさまじい、悲壮ともいえる声援の中で、顔をぐしゃぐしゃにして、踊って、歌っているよ。阿呆、阿呆、阿呆が。俺、恋愛大臣だから、愛、振りまくの。愛、振りまかれた。いろんなところに、愛。得体の知れぬ、愛。俺、双眼鏡をのぞいたまま、泣いた。なんだろう、これ、なみだ。久しぶりだな、なみだ。俺、おとななのに。そう、おとな。でも俺、恋愛大臣だから、愛、振りまくの。振りまいちゃうの。


「――よかったですね、モーニング娘さん。私、ちょっと涙ぐんでしまいましたわ」
 興奮さめやらぬ会場を後にして、俺とヨウコは、ならんで歩いている。すっかり、夜。
「馬鹿だなあ、いかんよ、いかん、おとななんだから、いかんよ、冷静に見ないとね。泣いたりするなんて、恥ずかしいよ、みっともないよ」
 ヨウコは、くすって笑って、ちらと俺を見やって、
「あら、あなた、最後、チャーミーさんが泣いてるとき、つられて泣いてらっしゃいませんでした?」と、言った。
 しまった。迂闊だ。うかつな奴。それは俺。見られた。見られちゃった。おとななのに。泣いちゃったんだ、俺、馬鹿野郎、なんてこった。くそう。負けだ。俺の負けだ。愚民だからか。平民だからか。ちくしょう。
「泣いてないよ、馬鹿を言うな。見まちがいだろう。ははは」
 って、強がって俺が言うと、ヨウコは、「うふふ」って、しなやかに笑った。ヨウコが少し綺麗に、控えめに笑うので、俺は、ぼんやりしちゃった。胸が、キュンとなって。少し、息が苦しい。夜の冷ややかな空気を、一杯に吸い込んで、吐き出してみた。こころが、綺麗に、澄んでいくような気がした。俺、おとなだよなあ。おとなだけど。
「俺、恋愛大臣だからさ、愛、ふりまくの。ふりまいちゃうの」
 ヨウコは、きょとんとしていた。
 俺は、やにわにヨウコの手をにぎって、チャーミーグリーンを使うとー手をつなぎたくなーるー、なんて、こころの中で口ずさみながら、ヨウコと、ふたりならんで、歩いていった。
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